

九州は熊本。その南端に位置する人吉・球磨地域。
同地域は熊本市から南へ80km、峻烈な九州山系の懐深く幽玄な趣を秘めた山々に囲まれた盆地にあります。
その美しい山々から良質の水が流れ出し、その水がつくりだした日本三大急流のひとつである清流球磨川は地域の象徴です。
盆地特有の寒暖の差が激しい気候と風土が育む豊かな大地が、熊本でも有数の米どころをつくり上げました。
また人吉球磨は、鎌倉時代から明治維新まで代々700年。この地は相良(さがら)藩によって治められてきた
隠れ里でもありました。この奥まった環境が熊本とは違う独自文化を育み、米から造る極上の本格焼酎「球磨焼酎」が誕生しました。

九州は熊本の南端、人吉球磨地方。土地の人々は、古くは鎌倉時代から、香り高い蒸留酒を造ってきました。
肥沃な大地と寒暖の差の激しい気候によって育まれた深い味わいの米。上質のミネラルを豊富に含んだ清涼な水。
これらの条件が揃ってはじめて、奇跡は生まれました。
厳選した米と上質の水だけを使う伝統をそのままに、製法にさらに磨きをかけ、「白岳」、「しろ」、「待宵」は誕生しました。深いコクと豊潤な香り、飲む程に心地良いマイルドな味わい。この奇跡を支えているのは、杜氏をはじめとする職人たちの腕です。高橋酒造の球磨焼酎「白岳」、米焼酎「しろ」、プレミアム米焼酎「待宵」は、最先端の設備と、経験豊かな職人たちの魂がひとつになって、全国のみなさまのもとに届けられています。

九州山地の険しい山々の中にぽっかりと開けた広い盆地があります。ここが白岳のふるさと、人吉・球磨地方。
南北に広がる山すその至るところから湧き出る伏流水が、いくつもの流れをきざみ、ひとつに集まって急流球磨川となり、
中央を貫いています。
鎌倉時代から明治維新まで代々700年。この地は相良(さがら)藩によって治められてきた隠れ里でした。
清冽な水と、豊かに実る米を原料に、焼酎造りは古くから盛んに行われ、米焼酎は、相良藩の「国酒」として土地の人たちに愛されてきました。
このうまさは、朝霧深い山里を稀に訪れる旅人たちによって幻の酒伝説として全国各地へ広がっていきました。
現在では、「球磨焼酎」というブランドで、国の産地指定を受け、28の蔵元がおいしい焼酎を造るために日々腕を競い合っています。
※球磨焼酎「白岳」その名前の由来は、地元の「白髭岳(しらがたけ)」。
しらがたけから我をはらぬようその「我(が)」を取り除き、白岳とし「はくたけ」と読むようにしました。

我が国で焼酎(蒸留酒)がいつごろから飲まれていたのか、文献がほとんど残されておらず、正確なことは残念ながらわかりません。けれども、人吉・球磨地方では、少なくとも戦国時代から焼酎が愛飲されていたと推測されています。
相良氏は当時、東南アジアや大陸と活発に交易をしており、中国や朝鮮半島、あるいは東南アジア、琉球などから蒸留技術が持ち込まれたことが、焼酎造りのきっかけではないかといわれています。この地の温暖な気候が日本酒造りにはあまり適していなかったこともあったのでしょう、焼酎は瞬く間に人吉・球磨の人々の心を魅了していきました。
人吉・球磨地方に隣接する鹿児島県北部、大口市に郡山八幡という神社があります。昭和29年、建物の改修中に、左の写真のような木札が発見されました。(写真:大口市焼酎資料館「木樽」所蔵)
これは、神社の座主がたいへんなケチで、焼酎を一度も振る舞ってくれなかった・・・という不平を宮大工がつづった落書きとされています。
実は、この「落書き」が、現在、我が国に残されている最古の「焼酎」という文字。落書きが書かれた永禄二年(1559年)当時は、相良氏の最盛期で、その領地は現在の県境を越えて、鹿児島県の大口市周辺にまで及んでいました。つまり、戦国時代には、すでに相良氏の領地には焼酎があり、庶民の楽しみとして、広く浸透していたのです。
では、宮大工の作次郎、助太郎が所望した焼酎とは、どんなものだったのでしょう。この落書きだけでは、その原料や味わいをうかがい知ることはできませんが、芋焼酎でなかったことだけは確かなようです。
現在、鹿児島県ではサツマイモを原料とした焼酎造りが盛んです。けれども、この時期、サツマイモはまだ日本に渡来していませんでした。永禄二年当時、相良氏領地として、人吉・球磨との人や物の行き来が盛んだった鹿児島県北部で飲まれていた焼酎は、米、あるいは雑穀を原料とした「人吉・球磨スタイル」のものだった可能性が高いのです。

秀吉の時代、文禄・慶長の役(1592〜1598)によって、朝鮮半島から蒸留法の新しい技術がもたらされたことなどから、江戸時代になると、焼酎造りはいよいよ盛んになってきました。
ただし、自家用の焼酎製造はある程度自由でしたが、販売は藩の厳しい管理の下で行われていました。
また、江戸期、米は諸藩にとってもっとも重要な物資でしたから、豊かに米が実る相良藩内でも、自由に米を原料とした焼酎を作れるわけではありません。
米焼酎は、武士・上流階級のものとされ、農民は、普段は麦や雑穀の焼酎を飲んでいたといわれています。
しかし、それでも、焼酎を飲むことは庶民の大きな楽しみだったようです。
この地方に伝わる「球磨の木びき唄」の中に「鋸もやすりも、番匠かねも、置いて立ちやれ、酒のしろ」という
歌詞があります。焼酎が無いときは、カラのひょうたんを腰に下げ、そこに染みこんだ焼酎の匂いをかぎながら田畑の仕事をした人もいたとか。
そして、焼酎は、相良藩にとって大きな収入源でもありました。特に良質の米を使った焼酎は、粕とり焼酎しかなかった他国では垂涎の的、薩摩や豊後などにも移出されていたそうです。
焼酎を販売することができたのは、藩から焼酎の製造・販売の権利である「醸造株」や「入立(いりたち)」を与えられた者だけ。入立とは、焼酎を飲める休憩所、今で言う居酒屋のようなものです。現在、28カ所ある球磨焼酎の蔵元のうちのいくつかは、江戸期に入立を与えられたことが焼酎造りのきっかけとなっています。

人吉・球磨地方では、少なくとも戦国時代から焼酎が愛飲されていたと推測されています。
藩主相良氏は当時、東南アジアや大陸と活発に交易をしており、中国や朝鮮半島、あるいは東南アジア、琉球などから蒸留技術が持ち込まれたことが、焼酎造りのきっかけではないかともいわれています。
また、この地の温暖な気候が日本酒造りにはあまり適していなかったことも球磨焼酎誕生の一因とも推測されています。
このようにして誕生した球磨焼酎は、瞬く間に人吉・球磨の人々の心を魅了していきました。
以来、「球磨焼酎」は戦国時代に大陸から人吉へと伝わった焼酎の製法と、人吉球磨の独自文化が作り出した技を
融合させ、500年以上のあいだ変わらず受け継がれ、由緒と伝統を守っています。
「球磨焼酎」のうまさは、朝霧深い山里を稀に訪れる旅人たちによって幻の酒伝説として全国各地へ広がっていった経緯もあります。それだけ、貴重な�猗覿�の名酒�瓩任△蝓△世�らこそ歴史に埋もれずに今日の発展を遂げたのでしょう。
銘柄の味を大きく左右する造り手“杜氏”達は、先人から受け継いだ味を守り、新しいものを模索していくことを朴とつなまでに繰り返しています。
その職人らの一徹な想いによって「球磨焼酎」は、この地域の誇るべき文化として、いまも日々磨かれ続けています。

「球磨焼酎」は日本に4つしかない産地呼称が認められた本格焼酎のブランドの一つです。
いまから10年以上前の1995年に、人吉球磨地域で造られる米を原料とした焼酎が正式に『球磨焼酎』として国税庁の
「地理的表示の産地指定」を受けることができました。
いくら製造機器は近代化しても、その味わいを形作るのは、良質の米と清らかな水だけ。
その永年にわたる土地の人々のこだわりが、球磨焼酎をコニャックやボルドーワインなどと肩を並べる世界的な銘酒へと押し上げていきました。
産地呼称が認められた本格焼酎として「球磨焼酎」のほかには、芋を原料とした「薩摩焼酎」(鹿児島)、
麦を原料とした「壱岐焼酎」(長崎)、タイ米を原料とした「琉球泡盛」(沖縄)があります。

明治維新を迎え、人吉・球磨の焼酎文化は一気に開花します。誰でも遠慮気兼ねなく米焼酎を飲めるようになり、
「醸造株」や「入立」といった制度が廃止になったことから、郡内のあちらこちらで「焼酎屋」が誕生しました。
一説によると、その数60件以上。人吉・球磨のほとんどの村落ごとに少なくとも1つは蔵元があったといわれています。
明治17年には球磨郡酒造組合(現在の球磨焼酎酒造組合の前身)もつくられ、その生産量は年々増えていきました。
大正時代、球磨焼酎を飛躍させる大きな転換期が訪れます。ひとつは、原料の米が玄米から白米にかわったこと。
もうひとつは、「二段仕込み」製法を取り入れたこと。これによって生産効率が大きく向上し、
出荷量もさらに増大していきました。けれども、米焼酎・球磨の焼酎の味が、全国に知れ渡るようになったのは、
ごく最近のことです。
500年近い歴史を持ちながら、球磨焼酎には、昭和のはじめまで市販のための銘柄がなく、その味が人吉・球磨地方から外に出ることはほとんどありませんでした。
第二次大戦後、少しづつ球磨の焼酎の噂が全国に広まっていきます。まずはお隣の宮崎県や鹿児島県、次に福岡県から九州全域へ。そして1980年代、その人気は関西や関東にまで広がっていきました。
人気に拍車をかけたのが近年になって登場した「減圧蒸留法」。米焼酎本来の深い味わいはそのままに、口当たりがまろやかなことが人気を呼びました。
そして、1995年、球磨焼酎に大きな勲章が届けられました。この地方で造られる焼酎が『球磨焼酎』として
国税庁の「地理的表示の産地指定」を受けたのです。
製造機器は近代化しても、その味わいを形作るのは、良質の米と清らかな水だけ。
その永年にわたる土地の人々のこだわりが、球磨焼酎をコニャックやボルドーワインなどと肩を並べる世界的な銘酒へと押し上げていったのです。
註)地理的表示の産地指定
その酒類に与えられた品質、評判等が本質的に地理的原産地に起因するものと考えられる場合、
原産地域・地方を特定する表示のこと。
海外では、スコッチ、バーボン、コニャック、アルマニャック、ボルドー、シャブリ、シャンパーニュなどが
これにあたり、その生産地ならではの商品として明確に位置付けられている。
※参考資料/川越政則著 「焼酎文化図譜」 昭和62年 鹿児島民芸館発行
